アマゾンの村上春樹








2010年12月12日日曜日

●おすすめの本「スプートニクの恋人」村上 春樹

「僕」が帰って来た。
平仮名の「ぼく」になってはいたけれど、それは紛れもなく鼠の友人であり、直子の恋人であり、ビールとジャズとコットンシャツを愛する「僕」だった。 

「ぼく」の女友達すみれが17歳年上の女ミュウに恋をする。
しかしミュウは過去の事件が邪魔して求愛に応えられない。

すみれは姿を消し、「ぼく」は彼女を探しにギリシャへ向かう。 

村上春樹が支持された要因は主人公のクールでミニマムなライフスタイルにあった。
ところが「ねじまき鳥」から「オウム」にかけ、彼はどんどん熱くなっていった。

置いてけぼりにされた昔ながらのファンは、今回ホッと一息というところか。


とても奇妙な、ミステリアスな、この世のものとは思えない、22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。

広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。

それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。

そして勢いをひとつまみもゆるめることなく大洋を吹きわたり、アンコールワットを無慈悲に崩し、インドの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし、ペルシャの砂漠の砂嵐となってどこかのエキゾチックな城塞都市をまるごとひとつ砂に埋もれさせてしまった。

みごとに記念碑的な恋だった。

恋に落ちた相手はすみれより17歳年上で、結婚していた。更につけ加えるなら、女性だった。

それがすべてのものごとが始まった場所であり、(ほとんど)すべてのものごとが終わった場所だった。

孤独さが悲しくて仕方が無かった。
この作品は現実の世界を描いていない。

人間の生きている世界から、観念的な部分だけを取り出して物語にしたもの。

そう思わないと、自分の中の片恋がむき出しになって、つらいのだ。
けれど、意図的に目を背けて見ないようにしている感情のひとつを思い出させてくれて、今呼吸することの幅を確かに広げてくれる、優れた作品だと思う。

この小説はかなり評判が悪い。

だが作品としては、ある観点から眺めれば、成功しているといえる。
これはもともと全集に収められた「猫」を主軸としてかかれたもの。

そういった意味では、「蛍」「「ねじまき鳥と火曜日の女たち」のそれぞれを軸にした小説へ発展した『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』と同系列である。

それは村上の言葉を借りれば、「書かれたがっている」小説であり、なぜこれらがそのようになるかをじっくりと考えなければ、真の作品の意味が問われることはない。

商業的に失敗かもしれないが、作品の上では如実に村上の深まりを見せている。
さらに最近では明らかに商業と作品とを区別しているように感じる。

世界広しといえども、「売れる文学」を書ける数少ない小説家だ。

マラソン選手が常に全力で走らないように、この作品は次へのステップへと続く重要な中継地点である。
後半で舞台となるギリシャの小島は、レスボス島をモチーフとしているだろう。

女性の同性愛を意味するレズビアンの原義である「レスボス」(レズビアン=レスボス島の住民)である。
夜の島で音楽が聞こえ始める。

おそらくこのシーンが作品のクライマックスである。主人公とその不安を同調できれば、狂気にも似た神秘が体験できるだろう。

大事なのはもはやストーリーそのものではなく、また、構成でもなく、この作品自体に負荷された「重み」もしくは暗闇に引き込む「引力」であるように思う。


スプートニクの恋人

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●[スプートニク]

1957年10月4日、ソヴィエト連邦はカザフ共和国にあるバイコヌール宇宙基地から世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げた。
直径58センチ、重さ83.6kg、地球を96分12秒で1周した。

翌月3日にはライカ犬を乗せたスプートニク2号の打ち上げにも成功。
宇宙空間に出た最初の生物となるが、衛星は回収されず、宇宙における生物研究の犠牲となった。

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