ねじまき鳥が世界のねじを巻くことをやめたとき、平和な郊外住宅地は、底知れぬ闇の奥へと静かに傾斜を始める…。
駅前のクリーニング店から意識の井戸の底まで、ねじのありかを求めて探索の年代記は開始される。
岡田亨は30歳で、勤めていた法律事務所を辞め失業中。飼い猫は家出をしていて、出版社に勤めている妻のクミコは最近帰りが遅い。
そんなところへ、知らない女から奇妙な電話が掛かってきて、それから僕の人生は不思議な方向へと流れ出す。
変えようのない「運命」と自己の「意思」が、場面・人物を違えて何度も錯綜し衝突する、つづれ織りのような小説です。
違う場面で繰り返し出てくるキーワードがいくつもあって、一見関係ないお話たちが交錯して一つにつながっていきます。
私は豊富なメタファーの向こうに、氏が「書く」という行為に至った魂の遍歴のようなものを読み取ったような気がします。
実は私小説的な意味合いが強い作品なのではないかと思っています。
3部作なので読む前は長く感じますが、私はぐいぐいと小説世界に引き込まれていって読み終わるまで出てくることができませんでした。
傑作です。
「流れというのが出てくるのを待つのは辛いもんだ。しかし待てねばならんときには、待たねばならん。その間は死んだつもりでおればいいんだ」。
作中に出てくる本田さんの言葉です。
ネコの失踪という問題に始まり、香水のニオイを残していなくなってしまう妻。
物語がじょじょに流れ出していく第一部です。
個性豊かな登場人物たちや、主人公の悩める心情に共感しているとあっという間に読んでしまえる一冊です。
国境の南、太陽の西 の後の作品であり、スプートニクの恋人の前の作品にあたる。第一部のみ、雑誌で連載されたものであるが、全体の空気を通して作調の変化は感じられなかった。
又、著者はこの作品により読売文学賞を受賞している
ねじまき鳥クロニクルは現在発売されているアメリカでの村上春樹ベスト、海辺のカフカを除けば、アメリカ人に"村上春樹"と言われれば浮かぶタイトルである。
ひとつに、この作品の主人公は(大局的に捉えた)アメリカ人としてのアイデンティティを体現したような存在でもありうるから、そのように彼らに印象づけたのではないだろうか。
基本的に主人公は弱さを出すことが無い。
感性が鋭く、筋道を立てて考えることができ、しかし、それがあるにもかかわらず流れに身を任せる事も忘れていない。
極めて実務的な人間である。
この物語は、"僕"がマルタという登場人物に言ったが如く「まるで禅のような話」に、そのような性格の主人公が人の手を、または場所の力を借りて、捉えどころの無い流れに挑んでいく話…という風に私は読んだ
日本文学は人物の深みを掘り下げていく事が少なくないが、この作品は人物ではなく、時代でもなく、人間の存在でもなく、なにようか言い表せない世界を掘り下げていく。
驚くことに、そういった物語でありながら、話の筋は霧散せず、それぞれの複線や、ストーリーの流れは、理屈や構成だけで捉えても合点のいくように編まれている。
それだけでも十分に興味深く、考えさせられる。
時間のあるときに、じっくり読むと自分の世界を深く変えられたような気分になる小説である。
▼ねじまき鳥クロニクル(第1部)改版
●アマゾン
↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101001413/horaihonoyomu-22
0 件のコメント:
コメントを投稿